4月。
大組織に所属する私は、超・多忙&刺激過剰な職場に異動となりました。
異動から2週間後、ストレスによる腹痛で倒れ…
上司に業務調整をお願いしたり、
内向型の特性を生かして働く方法を模索したり、
工夫して2か月過ごしてきましたが…
6月上旬、ついに適応障害と診断されました。
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異動直後の状況は、こちらの記事をご参照ください
5月中旬から、職場の多忙度が一気に上がり、
4月に上司にお願いした業務調整も形骸化。
鳴り響く電話と人の声に囲まれ、
どんどん降ってくる仕事は、期限の短いものばかり。
できないとすぐ催促されて、まったく集中できず…
毎日残業時間が積みあがっていました。
気づけば、毎晩顔にじんましんが出るように。
ついに突然、仕事に全く手がつかなくなりました…
幸い、当日中に心療内科を予約でき、
適応障害と病気休暇の判断をもらえました。
※すぐ休めたため、回復も早く、7月から復職しています。
病気休暇を取得したことにより、
苦い感情もたくさん経験しました。
でも、自分の限界を認め、職場と交渉したことで、能力に合った職場環境を手にすることもできました。
あきらめることも、頑張ることと同じくらい大切なんだって、気づけました。
仕事がつらいけど、逃げていいのか?迷っている。
仕事を休んでいるけど、今後どうしたらよいか悩んでいる。
そんな内向型の人がいたら、参考になればと思い、書いてみたいと思います。
1 適応障害で病休取得!―後悔と悔しさ―
病気休暇に入り、最初に感じたのは、「後悔」です。
周りに挨拶もせず、逃げるように消えてしまった…
もう少し大人の対応もできたろうに。
「逃げずに立ち向かう」ことを、今まで一番大事にしていたのに。
次に感じたのは、「悔しさ」です。
内向型の特性を生かせず、「病人」になってしまった…
ただ、環境が合わなかっただけなのに。
私の個性は、かえがえのないもので、病気じゃないのに。
くやしい。くやしい。
最初の数日間は、後悔と悔しさで身もだえしていました。
体力も限界。
ただ布団の中で、感情の波と戦っていました。
しかし…
苦い感情を味わい切り、少しは動けるようになったころ。
急に、悟りのような思いが湧いてきたのです。
自分には、どんなに頑張っても「できないこと」や「限界」がある…と。
2 限界を認めてあきらめた!
これまで、「自分の特性(内向型)を活かして働きたい!」という気持ちを強く持っていました。
うまくできなくてもいい。
だけど、逃げずに、前向きに。
このブログにも、その過程を多く書き記しています。
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だけど、どんなに頑張っても、私の思考は深くてゆっくり。
速すぎるペースにはついていけない。
深い集中力が強みだから、騒がしい環境では消耗してしまう。
ひとつのものを掘り下げるのが得意だから、横入の仕事がどんどん入るのはつらい。
努力しても、「不可能」なものは、「不可能」なんですね…
もちろん、できないことへの悔しさはあります。
でも、限界まで追い詰められた結果、開き直りのような、明るい気持ちになったのです。
限界が明らかになることを、「あきらめる」というんだなあ…
3 上司へ自分の特性を説明してみた
2週間後。
体力がだいぶ回復してきたので、自分の特性について、上司へ説明する資料を作りました。
4月にも簡単に説明していたのですが、より詳細に、自分らしさが伝わるように作成。
やっぱり、突然休んでしまったことが申し訳なくて。
少しでも、誠実な気持ちが伝わればいいなと考えました。
そのときのパワポの抜粋がこちらです。
限界を認めた上で、自分が活躍できる環境について伝えています。
さらに、病休取得前の担当業務や職場環境を一覧にして、つらいと感じた部分を明記し、改善案についても、提案しました。
最終的には異動の検討もお願いしました。
これを読んだ上司は、同じ職場で復帰させるのは難しいと、判断したのでしょう。
異例のスピードで、異動させてもらうことができました。
異動先は、地に足をつけて、コツコツと仕事ができる、特性に合った職場です。
さらに、もともと私がいたポストは増員し、2名体制になりました。
担当していた業務の厳しさも、客観的に伝えられたのだと思います。
限界を認めるのは悔しい。
それを上司に伝えるのは、もっと悔しい。
だけど、私は心と体を、一番大切に生きていきたいと思いました。
確かにできないことはあるけれど。
自分のかけがえのない能力を、使える場所があるなら、そこで働きたい。
そのほうが、自分にとっても、組織にとっても幸せなはずです。
心に正直になることで、自分に合った環境を手にすることができました。
元の職場の増員にもつながり、職場環境全体を改善することもできました。
4 仕事は逃げてもいい。ただし、誠実に。
もちろん、職場になじむため、ある程度の努力は必要だと思います。
つらいからといって、すぐ投げ出すのはNGです。
まずは、問題と向き合い、できる限りの対策をするのは重要です。
無責任のレッテルを貼られると、組織では生きにくくなりますから…。
私も、できることについては最大限努力し、その経緯を伝える工夫をしていました。
例えば、こんな感じで…
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それでも、心と体がすり減って仕方ないなら。
生きる活力が失われていくなら。
思い切って、あきらめ、逃げることが自分を守ることになると思います。
我慢すべきつらさなのか。逃げるべきつらさなのか。
つらさの見極め方については、過去にこちらの記事に書いていました
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逃げ方ですが、
最初は、すべてを投げ出してしまっても大丈夫と思います。
だって、それくらいつらいんだもん。
ここにいたら、自分がなくなっちゃうもん。
よく言われる話ですが、
大きな組織なら、一人いなくなっても余裕で回ります。
現に、私のところがそうでした。
絶対無理だろと思ったけど、どうにかなっていました。
自分じゃないとできないことなんて、ないんです…(誰かに負担が行っていたのだと思いますが…復帰後にお礼は言いましょう)
すべて投げ出すくらいじゃないと、つらさに気づいてもらえない可能性もあります。
さらに重要なのが、自分を責めないことです。
能力が足りないから、できないんじゃない。
ただ、内向型の特性に、環境が合わないだけ。
私の個性はかけがえのないもの。
決して、欠陥ではないのです。
心と体を守りたいと主張することは、弱さではありません。
周囲に流されない「強さ」です。
だけど、逃げた後こそ肝心で。
放置するのではなく、誠実な対応が何より重要と思います。
自分の強みと弱みは何か。
何がつらかったのか。
どうすれば強みを組織のために生かせるのか。
冷静に、自分の言葉で説明する。
もちろん、説明は十分に体力が回復してからで大丈夫です。
(説明したいと思っていることは、先に伝えおいたほうがGood)
逃げてもOK。
でも、その後に、誠実にフォローすることで、
自分にとっても、組織にとっても、良い道が拓かれるのだと思います。
今回、上司も組織も、話を聞いてくれる環境だったのは、ラッキーでした。
そもそも、話が通じない上司の場合もありますよね…
でも、相談できる場所が、組織の中には必ずあるはずです。(まともな組織であれば)
上司の上司、人事担当、産業医、相談室など…。
私も今回の経験で、自分の職場に、相談や支援の仕組みが多くあることを知りました。
今までは、相談したら、自分が「できない人間」になってしまうようで、敬遠の気持ちがあったのですが…
つらいときに、つらいと言えることが、どんなに大切か。
適切な支援を受ければ、回復も早いです。
何より、「できない人間」なんて、いないから。
今後も、調子が悪いときは、職場の支援制度を積極的に活用したいと思います。
本当につらいときは、逃げることに、全力を出してみて。
勇気はいるかもしれないけど。
何もしないより、きっと、環境は良くなるはずです。
自分の心と体は、どんな仕事よりも大切。
誠実に逃げることは、賢明な選択です。
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組織で働いていると、どうしても、組織の歯車になることを求められます。
やはり、うまく立ち回れる外向型が有利で、内向型を活かせる環境に出会うのはなかなか難しいです。
人事異動で希望を伝えても、組織都合が最優先。希望をガン無視されることもしばしば…
内向型には、フリーランスが向いているとも言われています。
だけど、私は組織で働き続けたいと考えています。
次回は、内向型の私が、それでも組織で働く理由について、書いてみたいと思います。
そして、今回の経験を基に学んだ
「休むことの大切さ」についても、書いていきたいと思います。
組織で働く内向型が、自分に合った環境を可能な限り手にできますように。
★内向型の私が、組織で働き続ける理由はこちらです↓
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