蓄積ヒストリー

内向型女子32歳。東京で、もがいて痛みながら作り出す、余白のある人生。

私が妻の姓を選びたかった理由―妻の姓を名乗って結婚しました!①―


「私、自分の名字と名前の響きが好き。結婚したら、平凡な響きになるから嫌だな」

「珍しい名字を残したかったのに、夫の両親が反対したからあきらめた」

「私も姉も結婚したから、うちの名字は途絶えちゃったな…」

私の周りで実際に聞いた話です。

約95%。
日本で、結婚の際に夫の姓を名乗る夫婦の割合です。

でも…
「本当は姓を変えたくない」
そう思っている女性は、もっと多いのではないでしょうか。

根強い慣習に逆らえずに、夫の姓を選んでいる結果が、95%という数字なのかもしれません。

私も、慣習に逆らえないひとりでした。
だけど、自分の胸に手を当てたとき、やっぱり姓を変えたくないと思ったんです。

夫の両親からは「違和感がある」という理由で反対されました。
それでも、私たちは妻の姓を選択して、婚姻届を出しました。
約2年半前のことです。(私も夫も、当時30歳でした)

日本では、妻か夫、どちらかの姓を選択しなければ法律婚はできません。
多くの人が最善の選択ができるよう、選択的夫婦別姓の導入も必要だと思います。

でもそれ以前の問題として。

「改姓は妻がするもの」と、
無意識に思い込んでいる人も、多いのではないでしょうか。

私も結婚が決まったとき、多くの友人から「名字は何になるの?」と聞かれました。
会社からも、「新姓を教えてください」と言われ、モヤモヤしました。


キャリアへの連続性を守りたい。
家業を継ぎたい。
自分の名字に愛着がある。

名字を残したい理由は、人それぞれ。


理由がなんであれ、自分の名字を残したいと思うなら、あきらめずに声を上げたほうがいい。

 

だけど、実際に声をあげてみると、いろんな葛藤がありました。
「これからの家と名字ってどうあるべきなんだろう」と、ずっと考え続けていました。

今、当時の経験を振り返っても、現在進行形で葛藤ingです。

 

ただ、葛藤しながら生きるのが人間。
葛藤の中で、心の声を聞きながら、ありのまま経験談を書いていきます。

妻の姓を名乗りたいけれど、周囲、特に夫の両親に反対されているカップルの参考になればいいな。

そして、「姓は妻が変えるもの」と考えている人がいたなら、その思い込みに気づくきっかけ、自分や相手の名字に向き合うきっかけになると幸いです。

4回に分けて書きました。興味がある内容からどうぞ…
(本稿)私が妻の姓を選びたかった理由
妻の姓を選択、反対されたらどうする?心がまえと乗り越え方
法律婚か事実婚か?ふたりの価値観が大切
これからの家と名字の在り方・私たちの選択がつくる物語



私たちが妻の姓を名乗った理由。
名字を残すことが、次世代の家族にとって、生きる力になると考えたからです。


私の実家は、東京23区にあります。
有名な家ではないですが、記録に残る限り、約500年同じ場所に住み続けています。

徒歩5分の距離に菩提寺があり、幼いころから墓参りが習慣。
江戸時代の墓石も多く、ご先祖さまが近くにいる感覚で過ごしてきました。

私は、この家で一人娘として育ちました。

私が結婚したら、名字や先祖代々の土地、墓はどうなるんだろう。
「家を継ぐ」とか、「当主になる」とか、前近代的な考えを未来に残すのは嫌だな。

成長するにつれて、ぼんやり「なんとかしないとな」と思うようになりました。

いざ結婚となり、この問題とじっくり向き合ったとき。
家族と地域の歴史を改めて調べてみたのです。

 

実家がある地域は、かつてのどかな農村でした。
ご先祖さまが、土地を守り、庭を作っていた様子が文献に描かれています。
明治を迎えると、鉄道ができ、宅地化が進み…

この150年で地域は激変しました。

やがて家は空襲で焼け、復興に向けて地域の区画は改められました。戦後、曾祖父が苦労して土地を整理した記録が残っています。

今、ここに住む人の多くは、外の地域から来ています。地域の過去の姿に興味がある人はあまりいないでしょう。

過去と現在と未来。
本当はひとつづきのはず。


私は、自分の名字に、この地域が農村だった時代の微かな残り香を感じる。
激変する地域にあっても土地を守り、命を繋いできた、先祖の無数の選択や、葛藤、努力の蓄積を感じる。

そして、その蓄積のさきっぽに、奇跡的に自分が生まれた。

もし、夫の姓を私が名乗ったら…
約500年ご先祖さまが守った土地の表札に、全く違う名字が掲げられたら…

やっぱり、つらい。
地域の歴史が途絶えてしまう気がする。
ご先祖様がつないできた物語を、私が女性だからという理由だけで断ち切るなんて、できない。

私は、結婚で妻の姓を名乗ろうと決めました。

 

もちろん、私には今名乗っている名字以外にも無数のルーツがあります。誰一人欠けても、私は存在しません。

同様に、夫の家族や、夫の姓にも、同じような物語があることもわかっています。
決して、歴史ある自分の家が格上だとか、思っていません。

でも、自分が名乗っている名字には、愛着もある。
何より、これからも歴史をつなげていきたいという責任を感じたんです。
私の場合は、ご先祖さまを身近に感じる環境で育ってきたのでなおさらでした。


子孫には、先祖が努力し、様々な選択をし、生き抜いた蓄積の上に、自分がいることを知って、ひとりじゃないって、力強く生きてほしい。

私の家の場合、名字を残すことで、過去と現在がつながり、「あなたがかけがえのない存在である」と、次世代に伝えやすくなると思ったんです。

 

姓の選択を悩んでいたとき、この考えを友人に話したら、反応はさまざまでした。

名字は、個人を識別するためにある、形式的なもの。名字が変わっても、別の形で続いていくよ。
通称で、旧姓を使えばいいんじゃない?

確かに、現代では、名字に深い意味を感じる人は少ないのかもしれない。
でも。

改姓後も生来姓に愛着を持ち続けようが、通称を使おうが、一度名字を変えてしまったら、何か、大きなものを失う気がして。

私にとっての名字は、私が私たる理由のそのものなんだよな。

 

幸いにも、夫は私の考えを理解してくれました。
私の思いに感銘を受け、妻の姓を名乗ろう、と言ってくれたのです。

改姓の心理的負担や、手続きの負担に対応してくれた夫には大変感謝しています。

ただ、私達は大きな壁にぶつかるのでした。
夫の両親の反対であり、両家の対立だったのです。

次の記事では、両家の交渉を振り返ります。
今思えば失敗も多く、つらい記憶もあり、なかなか筆が進みませんでした。
3年経ち、なんとか客観的に振り返れた…という感じです。

これから交渉に臨む皆さんが、少しでも前向きに進めるように。

私たちの経験が参考になれば幸いです。


つづきはこちら…

chikuseki-history.hatenablog.com

 

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