蓄積ヒストリー

内向型女子32歳。東京で、もがいて痛みながら作り出す、余白のある人生。

亡くなった人への後悔を乗り越えるには?祖父に孝行したかった―後悔は、循環して愛になる―

大切な人を失うのが怖いとき。
不安に怯えるのではなく、大切な人が居てくれる「今」に感謝しよう。
3年前、そんな記事を書きました。

chikuseki-history.hatenablog.com


当時からわかっていたはずなのに。
今、後悔しています。
2年前に89歳で亡くなった、祖父のこと。

ぐるぐる後悔する中で、少しだけ、後悔から抜け出す方法が見えてきたので、書いてみたいと思います。

亡くなった人に対して、「もっと〇〇すればよかった」、と後悔している人には、少し参考になるかもしれません。
祖父母に孝行したいけど、どうしたらいいかわからない人も、ぜひ読んでみてくださいね。

 

1 私のおじいちゃん

手先が器用でDIYや家庭菜園が趣味だった祖父。
祖父の畑で収穫する野菜は、本当においしかった!
車の運転も上手で、動物や釣りなど、たくさん遊びに連れて行ってくれました。
小さい頃は、祖父の家に遊びに行くのが楽しみで仕方なかったな。

80歳を超えても、地域活動に精力的に取り組んでいたおじいちゃん。
パソコンも使いこなして、「老人会の資料を作ってみんなに配るんだ」なんて、生き生きと話していました。

ずっと元気だったから、亡くなる時期が近づいていること、忘れてしまうほどで。
亡くなる半年前、結婚の報告をしたときも、手をたたいて喜んでくれました。
おじいちゃんは、結婚式にも来てくれるだろう。
長生きして、ひ孫にも会えるだろう。
そう思っていました。

2 愛は、存在を忘却させる

祖父は、私の成長をずっと見守ってくれていました。
亡くなった後、私が祖父に送った手紙や、私と一緒に撮った写真が、きれいにファイリングされてたくさん出てきたんです。

いなくなってはじめて、愛してくれていたことを、強く感じました。

祖父は、余計なことは話さない、口数の少ない人でした。
祖父が自分の考えを主張するタイプの人だったら、もっと気を遣って接していたと思います。

愛って、存在を忘れさせるんだな。

「大切な人を失うのは怖い」と、ずっと思っていました。
でも、「怖い」ことにすら、気づかせないほどに。
祖父は、空気のように、私の存在をすべて受け入れてくれていた。

祖父は、私が30歳になるまで生きてくれました。
30年間、祖父がいるのが「あたりまえ」だったから、「有り難う」って強く感じられなかったんです。

3 後悔は、循環して愛になる

中学入学以降、忙しくて、なかなか会いにいけなかったこと。
会いに行っても、あまり話すこともなく、祖父の家で寝たり、勉強したりていたこと。
大人になってからは、自己否定ばかりしていた時期もあって。
思いやりのない恋人に向き合うことに必死で、
誰よりも愛してくれた祖父を、ないがしろにしていました。

さすがに晩年は毎週電話して、毎月会いに行っていたけれど。
でも、当時はあまり中身のある会話はできなくて。
お茶を飲んで、老人会の話をするくらい。
もっと感謝を伝えたかったな。
一緒に、祖父の趣味だったカラオケもできたし、散歩もできたよな。

祖父は、私が私の人生を歩んでいるだけで、幸せだと思っていたかもしれない。
でも、その愛に、もっと応えられただろうに。

後悔は、これからも続くと思います。
でも、ごまかしてはいけない痛みだと思うんです。
目をそらそうとすれば、消えないから。

一方で、後悔しても、何も生み出さないこともわかっています。
祖父は、孫が自分のことで後悔していると知ったら、悲しむでしょう。
それでも、後悔してしまう自分を受け入れたうえで。

この後悔が、祖父が私を愛してくれた証だと思えば。
心の中にいる祖父と、これからも人生を歩むことができます。

今度は私が、両親や夫、生まれくる子どもたちに、愛を注ごう。
祖父が、存在を忘れてしまうほど、愛をたくさんくれたように。
後悔がなければ、私はずっと、あたりまえの日常を浪費し続けていたと思います。

後悔は循環して、愛になる。
傷や悲しみは、愛と表裏一体。

後悔が愛に変わると気づいてから、少し癒された気がします。
亡くなってからも、私に大切な気づきをくれた祖父を、尊敬しています。

4 今でも祖父母が生きている方へ

祖父母が地球にいてくれる奇跡を、かみしめてほしいなと思います。

今も祖父が生きていたら、いちばんしたいことがあります。
それは、昔の話を聞くこと。

祖父母がどんな人生を歩んできたのか、知っていますか。

祖父は、うまれたときから「私のおじいちゃん」でした。
だから、それ以前の祖父の物語を、ほとんど知らなかったんです。
遺品から若き日の祖父のアルバムが出てきた時、当たり前の事実に打ちのめされました。
「おじいちゃんにも、おじいちゃんの人生があったんだな」

戦前・戦後の激動の時代を生きてきた祖父。
葛藤や不安もあったでしょう。
厳しい仕事を、責任をもって遂行してきたのでしょう。

秋田出身の祖父は、仕事で全国を回り、最終的に神奈川に出てきました。
私の母は、神奈川で就職し、東京出身の父と出会い、私が生まれました。


アルバムを見ながら、じっくり祖父の人生を聞きたい。
おじいちゃんが生き抜いてくれたから、おじいちゃんの選択、ひとつひとつがあったから、私は生まれてこれたんだよ、と。
全部にありがとう、と。
伝えたかったな。

まだ間に合う人は、お話を聞いて、じっくり語り合ってみてほしいですね。
なにより、祖父母が生きている、あたりまえの日々がいちばん幸せだから。
一緒にお茶でも飲みながら、あたりまえの尊さをかみしめてくださいね。

5 後悔との向き合い方

結局、後悔がない人生はないのかな。
どんなに大切に日々を過ごしても、まったく後悔がないなんて、ないんじゃないでしょうか。

大切なのは、後悔とどう向き合うか。
後悔に飲まれて、自分を責めていたら、自分も故人もつらいだけ。
できなかったことではなく、できたことを数えながら。
後悔は愛に変わると信じながら。
私は祖父につないでもらった命を、生きていきたいと思います。