蓄積ヒストリー

内向型女子32歳。東京で、もがいて痛みながら作り出す、余白のある人生。

早く帰りたいのに帰れない!仕事を切り上げられないのはなぜ?―ほどほどにやる宣言―

仕事を切り上げて早く帰りたいのに、
「あとちょっと…」と続けてしまうことがよくあります。

結局、帰宅が遅くなり、寝るのも遅くなる。
睡眠不足で翌日のパフォーマンスも落ちる。

早く帰って休んだほうがいいとわかってるのに、つい仕事をしてしまう。
なんでだろう…と考えてみました。

目の前の仕事を終わらせて、スッキリしたい。
キリがいいところまでやって、翌日の負担を減らしたい。
そんな理由でしょうか。

でも…
確かに、一瞬仕事が片付いてスッキリするけど、
翌日もまた、大量の仕事が降ってきます。
結局、翌日もキリのいいところまでやって寝不足。
気づけば、いつもなんだか疲れている状態でした。

やりかけの仕事を残して帰るのは、気持ち悪さがあります。
完璧主義が顔を出し、
「あとちょっとなんだから、やっちまおうぜ」
と囁いてきます。

でも、その声をえいっと振り払い、
「今日帰ったって、たいして変わりゃしない」
「家で休んだほうが、明日朝からバリバリできるよ」
ゆるい言葉をかけてみる。

締切が明日の案件ならともかく、
「自分がスッキリしたい」だけなら、もう少し頑張れそうでも、帰る。

地道な行動の変革こそ、自分を労わることにつながるんだ。
30代になって仕事の難易度が上がり、痛感するようになりました。

幼いころから、「頑張ること」や「最後までやり切ること」が、
美徳であると思い込んでいました。
「休むこと」や「ほどほどで切り上げること」について、
全く考えたことがなかったな。

でも、常に全力を出していたら、体も心も疲弊します。
6割ぐらいの力で、調子よく、穏やかに過ごせたら幸せ。
全力でやっても、どうせ明日また仕事が溜まるんだから。
今日のスッキリ感なんて、かりそめなんだから。

早く帰るためには、
仕事が終わらない焦りに耐え、
「明日の自分が苦労するかもしれない」という不安に耐え、
体力を回復させる選択を取らねばなりません。

「未来」の不安をかき消すためではなく、1日頑張った「今」の自分を労わる行動を取る。
結局そのほうが、未来の自分も健康に、幸せになる。

まずは明日の仕事から、「最後までやり抜く」クセを手放してみよう。
長年染みついたクセだから、きっと大変だろうだけど。
できるところから、少しずつ。
小さな選択の積み重ねが、大きな変化となることを信じて。