私は現在28歳です。
自分の「内向型」の性格を受け入れらずに、自己否定ばかりしていました。
最近、ようやく
「自分はこれでいい」って思えるようになってきたところです。
自己否定ってつらいはずなのに、思考のクセだから、なかなか抜け出せないんですよね…
これからの人生、自己肯定感を持ち続けるために。
そして今、自己否定に苦しむ人の参考になれば。
自己否定の思考が身についてしまった成長過程を振り返ってみたいと思います。
今回は、【大学生~社会人】編です。
幼少期~高校生編もあります。
親との関係・真面目をやめる編では、「自分はこれでいい」って思えるまでの過程を書いています。
よろしければ、併せてご覧ください。
高校卒業までの間に、私は真面目に努力することで、外向型優位の世界に食らいつく術を身につけました。
大学生になった私は、
「みんなが普通にやってることが苦手な自分は、ダメな人間なんだ」
との思いを強くしました。
「リア充」という言葉が流行り始めたころ。
リア充できない自分への焦りもあったと思います。
The大学生やな…
内向型を"直す"ために、日々努力していました。
たとえば…
・人前で思いを言葉にしたり、みんなをまとめるのが苦手
→音楽系のサークルで指揮者をやって経験を積む。
・マルチタスクが苦手
講義、サークル、アルバイト、運動、意識高い系のボランティア(笑)など予定を詰め込み、こなす。
アルバイトは苦手な接客系を意識的にやる。
・大人数の飲み会が苦手
大学生的なウェーイな飲み会に参加してウェーイしてみる。
でも、内向型は生まれつきのもの。
どんなに努力しても直らないし、直す必要もない。
苦手なことを無理にやっても、すり減るだけ。
それなのに、まじめに一生懸命内向型を直そうとして、やりたくないことをがんばって…あんまり楽しくなかったな。
いや、自分が楽しくないことにも、気づいていませんでした。
大学生活を充実させなきゃ、という切迫感。
「真面目に取り組んで、苦手なことを乗り越えるのが当然」という信念。
嫌なものを嫌と感じる心が、すっかり麻痺していたのです。
読書したり、まちの歴史について調べ物をしたり。
旅で感じたことを言葉にしたり。
静かに自分の心の内と向き合って(内向)、1つのことを突き詰めていくことが、自分にとって、いちばんの幸せだったのに。
周りの環境に流され、自分の心をないがしろにしていました。
まさに感情に蓋をしていたのですね。
まあ、大学生は時間があったので、すり減ってもなんとか日々を過ごしていました。
しかし、社会人になると 、そうもうまくいかず。
仕事は、内向型にとって苦手な刺激にあふれているため、精神的にすぐ消耗してしまいます。
そんな自分を他人と比較して、自分を責める思考が強固になりました。
・もっと大変な仕事をしてる同期もたくさんいる。楽なほうだ。仕事がつらいと言うのは甘えだ。
・上司も同僚も素敵な人ばかり。パワハラを受けたり、ブラック企業ならともかく、素晴らしい環境にいる。だから、つらいと思っちゃダメ。
・人より家と職場が近いんだから、もっと頑張って働かなきゃダメ。
・一人暮らしのあの子があんなに大変な仕事をしてる。実家暮らしで親に甘えている自分が、あの子より楽な仕事でしんどいと言っちゃダメ。
心の中にスパルタ悪魔が住んでいて、常に自分をいじめてくる感じ。
今思えば、どうしてこんなに自分に厳しく生きていたのか…。
内向型ゆえに感じる、自分の「つらい」気持ちに完全に蓋をしていました。
人と比べることは本当になにも生み出さない…
そのうち、つらい気持ち以外にも、感情全般をちゃんと感じることができなくなりました。
自分で自分の気持ちが、わからないのです。
・相手に表面上はありがとうと言っても、心の底から感謝がわかない。
・ひどいことをされても怒りがわかない。自分が悪いと思う。
・友達に誘われても、その用事に行きたいのかわからない。
・予定がない土日に何をしたいのかわからない。
などなど。
世界が薄い暗闇で包まれているような…
つかみどころのない毎日でした。
なぜここまで自分の内向型を否定し、心を無視し続けていたのか。
それは、家庭環境や身近な人間関係(特に恋愛)にも原因がありました。
こちらの記事に書きましたので、よかったらご覧くださいネ。
chikuseki-history.hatenablog.com