蓄積ヒストリー

内向型女子32歳。東京で、もがいて痛みながら作り出す、余白のある人生。

浦安の歴史と向き合う―夢と幻の漁師町―

 都市の歴史を知り、都市を歩き、空気を吸い、食べ物を食べる。 そこで感じた歴史の蓄積と、匂い立つ独自の文化を紹介するシリーズ。 今日は浦安です。


え、浦安?ディスニーランド??


確かに今は、夢と魔法の国、ディズニーランドのイメージが強い浦安。そして、東京のベッドタウンとして、埋立地にマンションがたくさん立ち並んでいます。

でも、つい70年ほど前まではいきいきとした漁師町だったのです。でもその姿は、今は夢と魔法ならぬ、夢と幻。

当時の面影を探して、そして、失われゆくまちの記憶と向き合うため、浦安を歩いてきました。(まち歩きルートはこちら



1971年、漁業権放棄―


漁師のまち、浦安がその歴史にピリオドを打った瞬間です。放棄のたった20年前は、漁業最盛期だった浦安。けれど、時代の波は一瞬にして浦安を飲み込んでいきました。

最盛期の浦安、漁師町の中心部を流れる境川には、千数百艘のべか舟(1人用の海苔採り用の木造舟)が係留されていたそうです。漁師たちは、漁業権の放棄に伴い、仕事の相棒だったべか舟を燃やしました。舟が燃える炎を、漁師たちはどんな思いで見つめていたのか…。

今の浦安のきれいな街並み、コンクリートで整備された境川に、漁師たちの思いが埋もれています。

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(現在の境川。べか舟はなく。)


まちの歴史とどう向き合うか。


知らないのは味気ないけれど、歴史ばかりを追い求めていては、前に進めないのも確かです。

五感をとぎすませて歩くと、見えてくる。聞こえてくる。1950年代、漁業が盛んだったころの、浦安弁が飛び交い、豊かでおおらかな浦安の姿。自然の恵みに感謝する生活。

私はその時代を生きたわけではありません。でも、人々の暮らしが、いきいきとした浦安の文化を作っていた時代を想像して、温かく優しい気持ちになります。タイムマシンがあれば行ってみたい…(浦安市郷土博物館の展示では、その様子が再現されています。)

一方で、1950年代は、東京が戦災から飛躍的に復興した時代でもありました。産業の発展が最優先で、排水規制のルールづくりは遅れていました。

1958年、江戸川区の製紙工場から流れ出る黒い水が浦安の漁場を襲います。(黒い水事件。この事件をきっかけに、日本の排水規制のルールが整備されていきます)
浦安の人々は生活を守るため、工場と戦いますが、以降浦安の漁業は活気を失っていきました。

東京の発展が進む中で、人と産業が集積していき、ルールが整備され、社会は変化を迫られました。
そのスピードはあまりにも速く、浦安は、豊かさの価値の置き所を、漁業から別のものへ変えざるを得なくなりました。でも、東京が成熟するために避けられない変化だったのかもしれません。浦安は、一番大切にしていた漁業を捨てて、海を埋め立てる選択をします。

膨れ上がる東京に対応して浦安には東西線が走り、まちは別の役割を担うようになりました。漁師町ではなく、ベッドタウンとして。ディズニーランドのまちとして。それは、浦安が現代社会の中で見つけた新たな価値なのかもしれません。

だけど、どこかに歴史の蓄積が顔を出しているから。確かにその時代を生きた人々の思いがにじみ出ているから。夢と魔法の国の裏側にある歴史を知って、その重みを踏みしめて、現在の浦安のまちを歩くことに意味があると思います。

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境川の江戸川合流地点を望む)



      ★まちあるきルート(浦安 元町地域)
東西線浦安駅から浦安市郷土博物館までバス
博物館見学後、境川沿いに浦安駅まで
現フラワー通り(最盛期の浦安銀座)を歩き、
宇田川家住宅と大塚家住宅を見学後、浦安魚市場へ。

※郷土博物館では郷土料理あさりめしが食べられます♪
※浦安魚市場は2019年3月末で閉鎖しました
 

 

本文章は、浦安市郷土博物館展示物、
川名英之(1987年)『ドキュメント 日本の公害 第1巻 公害の激化』

浦安町役場 (1974年)『浦安町誌 下』

 を参照の上記載しています。