「ふるさとはどこ??」
そう聞かれたら、東京生まれの東京育ちの人は、どのように答えるでしょうか。
私は、言葉に詰まってしまいます。
東京は、可能性に満ちていて、猥雑で、刹那的で、うねりのある都市です。巨大な生き物ののようで、住んでいても、観察していても、好奇心を掻き立てられます。
でも、東京って、ふるさとって感じがしないのです。こころのよりどころにはならないというか。
思い出が詰まった景色も次々に壊されるし、人もどんどん移り変わるし。ずっと暮らしていても、ただ「住んでいる場所」というだけで、自分らしさを構成する要素、アイデンティティの一部にはなりにくい。
ずっと東京にいると、このままこの都市に埋もれていくのか…と、寂しく思うときがあります。
そんな思いを抱えていたころ、87歳の祖父と一緒に、田沢湖周辺を旅することになりました。
田沢湖と伝説のたつこ姫蔵。晴れていればバックに駒ヶ岳が…
私の母方の先祖は代々、秋田県の田沢湖に抱かれたまち、生保内で生きてきました。祖父母の代で関東に出てきましたが、まだたくさんの親戚が生保内で暮らしています。私は8年前に初めて生保内を旅しましたが、当時は大学生で感じることも少なく…。今回は大人になって初、かつ久々の再訪となりました。
今回の旅は、自分のルーツに思いを馳せ、改めて生き方を見つめ直す機会となりました。
生保内までは、東京駅から秋田新幹線で田沢湖駅へ、約3時間。今日は、田沢湖周辺の魅力を伝えながら、考えたことを記していきたいと思います。
1 田沢湖よいとこその1~乳頭温泉郷~
よく晴れた田沢湖の空。そびえ立つのは、駒ヶ岳。駒ヶ岳は活火山。ということは…
温泉が湧く!
乳頭温泉郷は、田沢湖から山道をくねくね登った先、山の奥にある7つの温泉の総称です。各温泉は点在していて、歩ける範囲にある温泉もあれば、少し離れているところはバスで巡ることもできます。なんと全ての温泉の泉質が違う、温泉のデパートなのです。
で、これが秘湯感満載。自然の恵みを、人間が楽しませていただいてます!と、どこか謙虚な雰囲気が漂う、素朴な温泉なのです。
私は、約20年ぶりに祖父といっしょにお風呂に入りましたw
山奥すぎて、混浴がわりとスタンダードなのです。ワイルドだぜい(もちろん男女別の温泉もあるのでご安心を)
でも、孫との温泉、じいちゃん嬉しそうだったなあ。
祖父は久々にふるさとの温泉を楽しみ、私もじいちゃん孝行ができて、ほかほか幸せな時間を過ごしました。
都会のスパでは味わえない、みどりと川の音と湯けむりが織り成す最高の贅沢。
山奥まで来る甲斐ありますよん
2 田沢湖よいとこその2~青い水とクニマス物語~
日本一の水深を誇る田沢湖。紺碧の色が澄み渡り、静謐な雰囲気を湛えています。
1周20㎞ほど。最近はロードバイクで走る人も増えているようです。
気持ちいいだろうなあ
田沢湖はなぜこんなに青いのか。
それは、湖水が酸性であることが関係しているそうです。
かつて田沢湖には、クニマスという固有種の魚が生息していました。田沢湖畔の人々は、湖で漁業を営み、中でもクニマスは高級魚として大切にされていました。クニマス1匹は米1升分の価値があるとされ、祝いの品や献上品として特別な席を彩っていました。
一方、この地域を流れる玉川の水は、温泉を含んでおり強酸性。農業には適さず、豊富な水量を使用できません。そんな中、1935年には冷害による大凶作が起こり、農業への安定した電気需要が拡大していました。
1940年、転機が訪れます。田沢湖に玉川の水を導水することになったのです。酸性水の希釈と、水の移動を利用した発電を目的としていました。
田沢湖のpHは一気に酸性化し、クニマスもその姿を消してしまいました。田沢湖の漁業は廃業に追い込まれます。そして、今は青い水が広がるのみです。
農業も電力もなくてはならないもの。でも、うつくしい湖水の色に、クニマスたちと消えた漁業文化の哀しさが写っているようです。
なお、クニマスについては明るいニュースも。
2010年に山梨県の西湖でクニマスが再発見されました。1930年代に田沢湖の人たちが、人工孵化の実験のため、全国各地に卵を送っていたようです。
今、田沢湖の中和など、クニマスの里帰りを目指す取組も始まっています。一度変わってしまった環境をもとに戻すのは困難かもしれません。でも、田沢湖の豊かな漁業文化が、未来へ伝わることを願います。
田沢湖のクニマスについては、湖畔にあるクニマス未来館で詳しく学べます
3 田沢湖よいとこその3~山菜と秋田のことば~
生保内の親戚たちを久々に訪ねると、大量のごはん、山菜、飲み物、お菓子で迎えられました。
しかし、山菜のおいしいこと。
ワラビってこんなにとろける食べ物だったのか、、
タケノコってこんなにダシが出て余韻が残る食べ物だったのか、、
(ワラビ。口の中でトロリとほどけます)
(あまりにおいしすぎて、写真を撮る前に半分くらい食べてしまったタケノコの図)
祖父と、90歳近い親戚のおじいさんたちは久々の再会を果たし、嬉しそうに会話していました。しかし、スーパーネイティブ秋田弁につき、聞き取り困難^^;
でも、庭で種からお花を育ててるとか、みんなが来たからお店でジュース買ってくるよ、とか、日常のことばが優しい。
相槌は「んだんだ」
お礼をいうと、「なんもなんも~」
ことばのリズムが心地よい~
最後は、稲庭うどん、おやき、手作りちまきなどを大量に手渡され、超重量級のお土産を持って帰ることにw
ほっこりとしたおもてなしに、東京でささくれだった心が丸くなる思いでした。
しかし、現実の厳しさも目の当たりにしました。
かつてまちのメインストリートで、あらゆるものが揃ったという商店街には、営業している店はほとんどありませんでした。
若い人があまりおらず、親戚も結婚していない人が多い状況です。
過疎化の波がちいさな町を飲み込んでいます。あたたかな田舎町が、少しずつ、でも確実に失われていて、まるで自分の一部に穴が空いてしまうような、行き場のない思いが溢れました。
4 ふるさとあったやん~東京人のふるさと論~
田沢湖を訪れて感じたのは、この土地が好きだということ。ここがふるさとなんだということ。秋田弁が懐かしくて、その響きは子守唄のよう。
秋田の先祖のみなさんの先っぽに自分がいて、自分のDNAに、田沢湖と生保内のまちの風景がしっかりと刻まれている。不思議な感覚です。嫌なことやつらいことがあっても、その風景が自分を応援してくれるような…
それでも、少しずつ時代に飲まれていくふるさと。大切なこの場所のために、東京で生きる自分が今すぐにできることは、なんだろう。
普段東京に住んでいるからこそ見える、ふるさとの魅力や物語を伝えていくこと。そして、ふるさとの記憶を受け継いだ命を燃やして、自分らしく生きていくこと。
今の私の答えはこの2つです。
この記事で、前者に挑戦してみました。後者は毎日の生活で実践していきます。
東京での暮らしは、日々の雑事に追われてイライラあくせくすることが多いです。でも、命のルーツを知った今なら、そんな自分を俯瞰して、その先にある生きる意味に到達できそうな気がします。
田沢湖よいとこ一度はおいで!