最近、夫に対して強いイライラを感じていた。
私と夫は育児休暇を取得し、11ヶ月の子どもを一緒に育てている。
夫の生活力は、あまり高くない。
一人暮らしの頃は、物を捨てられず、汚部屋の住人だった。
料理はほとんどしたことなく、豆腐のカットを頼めばぐちゃぐちゃに崩す。野菜やきのこの名前が全くわからない。食器洗いも嫌いで、朝までシンクに放置する。
さらに、夫は超絶マイペースだ。子どもより自分を優先する。
子どもを「見てて」と頼めば、本を読んだりパソコンをしたり、“ながら見”のような状態。
散歩も、自分が行きたい場所に連れていくだけで、子どもを楽しませようという視点はない。
そんな夫の様子に、私は日々ダメ出しをしていた。
「もういいよ、私がやるから」
「どうせ頼んでもちゃんとやらないし」
「私だったら、散歩で葉っぱや木に触らせて、五感を使えるように工夫するのに!」
などなど。
あまりにもイライラが募ったため、定期的に受けている夫婦カウンセリングで相談した。
私はなぜ、こんなにも夫の言動に苛立つのか。
そこには、2つの「ねば」があった。
① 夫婦は、家事も育児も半分ずつ、同じ熱量でやらねばならない
② 理想は現実にしなければならない
「ねば」の強さゆえ、夫の言動が自己基準から外れると怒りが生まれ、自分を苦しめていたのだ。
心を蝕む「ねば」は手放したい…。どうしたらよいか?考えてみた。
(1)夫婦は、家事も育児も半分ずつ、同じ熱量でやらねばならない…?
私は、「家庭における男女平等」を実現しようと努力してきた。
「男は仕事、女は家庭」なんてもう古い。
男だから、家事育児から逃れていいわけがない。私だって働いてる。
そう思っていた。
でも実は、自分がいちばん、男女の枠にとらわれていのではないか?
性別ではなく「個人」として見たとき、
夫は「細かい作業が苦手」で「超絶マイペース」。
にもかかわらず、今は育休を取って、育児や家事に取り組んでいる。
料理は週に3回ほどミールキットで作るようになり、洗濯物も干してくれる。
引き戸のレールに溜まった埃を取ったり、子どもの食事の準備や片づけもする。
まあ、詰めが甘く、面倒くさがってやらないときもあるけれど…。
でも、夫にしてみれば、めちゃくちゃ頑張っているのではないか。
私は、物理が本当に苦手で、高校時代は18点なんて点数を取ったこともある。教科書を見るだけで吐き気がするほどだった。
もしかしたら、夫にとっての家事・育児は、私にとっての物理のようなものなのかも…
そう思ったら、自然と感謝の気持ちが湧いてきた。
もちろん、家事育児が得意な男性もいるだろう。でも、「夫という個人」を見たときに、「苦手だけど、やろうとしてくれている」事実にもっと目を向けたい。
その上で、本当にやめてほしいことは、嫌だという気持ちを怒りではなく言葉で伝えて、一緒に改善方法を考えてみよう。
また、「男女平等だから半分ずつ同じ熱量でやる」ではなく、
「得意なこと・できることを分担する」という視点で関わる方が、ずっと建設的だ。片方に負担が偏るようなら、外注や分担の見直しを検討すれば良いのではないか。
私はこれまで、「人はみんな違っていい」「個性を尊重するべき」と信じてきた。
でも、最も身近な存在である夫を「できない人」と見下していた。
子どもには「個性を伸ばして、自分らしく生きてほしい」と思っているのに、夫には、一方的に理想を押しつけ、評価していた。
「日常は何より尊い」と発信しながら、その日常の大部分を担っている夫を、ないがしろにしていた――。
思考と言動の不一致に、深い衝撃を受けた。
(2)理想は現実にしなければならない…?
これまでの人生、理想を現実にするため、頑張ってきた。
受験や仕事は、努力すればその分結果が返ってきた。
でも、夫婦関係はどうだろう。
どんなに頑張っても、夫は私の期待通りには動かないし、夫を変えることはできない。
そのため、無意識に、「夫=自分の理想を邪魔する人」と考え、怒りを覚えていた。「理想の育児と家事」という枠に囚われ、枠からはみ出る夫の言動を排除しようとしていたのだ。
一方で、できないところばかり見るのはつらく、夫婦関係も冷え込んでしまう。
いちいち怒っていたら、自分が消耗するだけ…。
では、どうするか。
遠い理想ではなく、今、「良かった!」と思えることに、目を注いだらどうだろう。
確かに、夫の生活力は高くはない。
言い換えると、衣食住にこだわりがない。
疲れて適当な夕飯を出しても、文句を言わない。ボロボロの恰好でダラダラしても、掃除が間に合わず部屋が汚くても、お構いなしだ。
視点を変えれば、無理をしなくていいから、気が楽とも言える。
夫のマイペースが発動するたび、外部の環境に過剰に反応しない訓練だと思おう。心を大切にして、自分の道を歩くための指標になるかもしれない。
育児の理想を夫にも押し付けていたけれど、夫は夫のやり方で子どもと関わり、私は私が良いと思う方法で関われば、子どもにとって、人間関係に多様性が生まれる。
悪いことばかりではない。
今ある夫と私の資質を、どう生かすかなのだろう。
(ただし、自分の尊厳が傷つかない範囲で)
それでも毎日、ついイラッとしたり、夫にダメ出ししてしまう。
「かくあるべき」や「理想」に囚われて、それを相手に押し付けてしまう。それは弱さであり、よりよく生きたいという思いの表れでもあり、人間らしさなんじゃないかな…
だからこそ、これからは少しだけ視点を変えることを意識したい。
俯瞰して見ること。相手を「個人」として見ること。
思い込みに気づき、「今ある資質をどう生かすか」、意識的に考えること。その積み重ねが、きっと家族の関係や、自分自身をも優しく変えていくと思う。
しかし、思い込みは怖い…
自分は男女の枠に囚われない、ひとりひとりを大切にする人間だと思っていたのに。
できないことばかり見て、勝手にテンション下がっていたなんて。
でも、気づけたなら、きっと道が拓ける。
そう信じて、これからも、下手こきながら歩いていきたい。