暗渠の魅力ってなんだろう?
どこまで続いているの?こっちに続きがあった!
心のままに歩くワクワク。
発展し尽くした都市の中に、突如現れる空白。
そこだけ時空がゆがんでいる。
暗渠を辿ること。
それは、時の蓄積が放つ磁力を浴び、好奇心を満たす冒険。
「目黒川支流の暗渠を歩きつくせ!大作戦」
今回は、目黒川の最上流部へ。
烏山川を途切れるまで辿ってみました。
烏山川が教えてくれたのは
「空白こそ物語。」ということ。
なんで、こんな無駄な空間が東京に残ってるの!?
でも、暗渠は静かなエネルギーを秘めていて…
東京の発展の物語が、みえる、みえる。
さあ、都外へ外出しにくい今だからこそ。
古地図を持て。冒険へ出よう。
1 烏山川緑道、その先へ
目黒川は、最上流部から目黒川ではありません。
北沢川と烏山川が合流して、目黒川になります。(世田谷区池尻4丁目24番地付近)
北沢川と烏山川は、目黒川の両親ですね。
☆北沢川の支流を辿った記事はこちら
chikuseki-history.hatenablog.com
烏山川の大部分は、現在緑道になっています。
でも、きれいに整備されてちゃつまらん。
川らしさ漂う、ありのままの姿の暗渠に会いたい。
暗渠ラバーのこだわりです。
地図で確認すると、世田谷区八幡山24番地付近で一度緑道が途切れていました。
(蘆花恒春園のそば)
環八の脇。しかも、地図上では緑道ではなく河川の表示に。
(一財)日本地図センターが作成した「東京時層地図」を加工。
これは開渠か。開渠なのか!?
興奮が抑えきれぬまま、今回はここから烏山川を攻めることにしました。
2 烏山川、環八脇で放置!?
環八脇で烏山川緑道が途切れる場所には、橋が残されていました。
道草橋。昭和35年竣工。
なんてすてきな名前なんでしょう。
暗渠めぐりは、道草が思わぬ発見につながります。
で、烏山川、緑道の先どうなってるよ?
そこには、目を疑う光景がありました。
草。
大量の草。
環八の大渋滞の横に、大量の草。
河川用地として放置されているとしか思えぬ空間。
開渠こそありませんでしたが、ここはまだ「川」なのでしょう。
古地図で確認すると、環八ができたのは高度経済成長期後。
このあたり、高度経済成長期前までは、烏山川沿いに田んぼが広がっていたようです。
(一財)日本地図センターが作成した「東京時層地図」を加工。
(一財)日本地図センターが作成した「東京時層地図」を加工。
東京の人口が増え、宅地化が進むにつれて、田んぼは住宅街に。
自家用車が増えて、東京全体の交通量も増えて、環八が開通します。
もともとここを流れていた烏山川をどうするのか。
流れを変える?埋め立てる?緑道にする?
いろいろ議論があったのかもしれません。
意見がまとまらず、または予算が足りず、こうなってしまったのかな。
同じ環八脇、都営八幡山アパートが更地になっていました。
ぽつんと1棟、残された建物。
高度経済成長期に、住宅需要に応えるために作られた建物が、今は更新時期を迎えています。
人間が支配しているように見えても、暗渠は都市を規定し、存在を主張する。
暗渠は、過去の地域の姿と開発の歴史を物語る。
地域の物語は、現在進行形で進んでいます。
高度経済成長期に作られたまちや、建築物が更新される今だからこそ。
地域が持つポテンシャルを見つめ、自然を感じられる持続可能な都市をつくっていきたい。
何ができるか考えていきたいな。
3 烏山川最上流部、めくるめく冒険
環八脇を過ぎると、烏山川は再び緑道として整備されています。
ここから、烏山川最上流部に向かって辿っていきましょう。
緑道は、しばらく歩くと二手に分かれます。
古地図で確認しても、烏山川には2本の流れがあったことがわかります。
(一財)日本地図センターが作成した「東京時層地図」を加工。
写真の緑道分岐点は赤丸のあたり
細流が集まり、烏山川を形成したのでしょうか。
分水が、農地を潤していたのでしょうか。
2本の川は並走しているので、行ったり来たりしながら辿っていきます。
☆烏山川①と烏山川②と名付けます
(一財)日本地図センターが作成した「東京時層地図」を加工。
両河川をさかのぼると、緑道も途切れ、京王線越えのポイントへ。
芦花公園駅と、千歳烏山駅の間です。
烏山川①が、アツイことになっていました…
東京のど真ん中に、道路でも歩道でもない、超無駄な空間!!
緑色は、防水シートでしょうか。
川の跡地、使い道が限られてしまうのでしょう。
その後も両烏山川は、謎の空間を東京にさらし続けます。
・川岸に現れるお地蔵さん(烏山川①)
・バス停でも公園でもないのに置かれたベンチ(烏山川①)
・また草だらけ…(烏山川②)
思わずツッコミを入れたくなる光景の数々。
開発し尽くされた東京の中で、マイペースすぎるよ烏山川…
「川としてのプライドは決して捨てん!!」
「この辺も、昔はのどかな農村だったんだぜ!」
烏山川の声が聞こえてくるようです。
次は何が現れるのか?
少しも目が離せません。
両河川は、その後甲州街道を渡ります。
(一財)日本地図センターが作成した「東京時層地図」を加工。
高度経済成長期前、まだ甲州街道がありません。
(一財)日本地図センターが作成した「東京時層地図」を加工。
烏山川① 甲州街道ができても、橋は残る♪
烏山川② 甲州街道を渡る直前まで、マイペースに草だらけ
そして、大量の車が行き交う甲州街道上。
ここにも、烏山川たちはちゃっかり痕跡を残していました。
烏山川①
烏山川② 先ほどと同じ写真ですが甲州街道に注目。
いや~。甲州街道にヒビが入ってるのかと思った。
ぬぐおうとしても、ぬぐいされない、暗渠の力。
甲州街道を越えた後、最上流部に近づいても、烏山川はさまざまな表情を見せてくれます。
烏山北住宅の間を駆け抜ける烏山川①
※団地と暗渠のコラボに、興奮する筆者
住宅が増え、農地が消えていった時代を見つめた烏山川は、何を思ったのか。
団地横の駐車場脇に無駄な空間を残す烏山川②
突如橋を出現させ、筆者をおおいに喜ばせる烏山川①
この橋が作られたころ、周辺はどんな雰囲気だったのだろう。
思い出すな。
幼き日に、近所の暗渠がどこまで続いているのか歩いたワクワク。
途切れたかな?と思ったのに、続きを発見!
体を駆け巡るのは、
「暗渠も生きているんだ!」という感動。
子どもの頃のように、ただ無心に、暗渠と戯れる。
心の汚れが洗われていく。
暗渠は、自然が豊かだった東京の姿を今に伝える。
歩くだけでタイムスリップできる。
時の蓄積の磁力が、今を、そして未来を応援してくれている気がする。
開発の流れにこびず、自らを貫いている暗渠。
一見、何の役にも立たない暗渠は、東京の空白。
空白なんて無駄だ。壊してしまえ、埋めてしまえ。
でも、空白があるから、私たちは東京の歴史物語に触れることができる。
想像力を働かせ、消えた東京を思い出せる。
過去から未来を学ぶヒントを得ることができる。
遊んでる暗渠空間、地域の自然と歴史を学べるスポットして、整備できないかな~
人生も空白が必要。
誰に何を言われても、自分を貫く強さが必要。
暗渠のように、隠してもにじみ出てしまうくらいで生きていきたい。
古地図を持って冒険に出てみたら、人生について考えていた。
暗渠の魅力ってこういうところだな。
☆烏山川暗渠周辺 おすすめスポット
・団地の給水塔
烏山川最上流部付近に残されています。歩いて探してみてください。
宇宙と交信できそう。
・玉川上水が一度地下に入るところ。
地図ではここ。烏山川最上流部のちょっと先です。
(一財)日本地図センターが作成した「東京時層地図」を加工。
地形で確認してみると…
(一財)日本地図センターが作成した「東京時層地図」を加工。
玉川上水は、高さを維持しながら江戸まで水を流すため、尾根を伝うように作られています。
玉川上水の反対側には神田川が流れている。
玉川上水は、目黒川水系と神田川水系の分水嶺なんですね。
暗渠の魅力たっぷりの、烏山川最上流部。
次の冒険に出るのは、あなたです。