蓄積ヒストリー

内向型女子32歳。東京で、もがいて痛みながら作り出す、余白のある人生。

長崎県の世界遺産 遠藤周作「沈黙」の舞台 外海(そとめ)の旅が、人生を静かに変えた話(潜伏キリシタンの里)

私の人生を、静かに変えた旅の話をします。
長崎県外海(そとめ)の旅が、教えてくれたのは「愛」でした。

 

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お話の舞台 出津文化村

www.kanko-sotome.com

外海詳細MAP 

 

 

「あ! お客さん、200円多いですよ」

20149月、長崎県外海地区。出津(しつ)文化村でバスを降りようとしたとき、運転手さんが慌てて言った。お金はすでに私の手から運賃箱に滑り落ちていた。

 

私は地方のバスが苦手だ。慣れない運賃表の解読が難しい。お釣りが出ないバスも多く、小銭がなければその場で両替しなければならない。後ろで人が待っていると、焦って頭が真っ白になる。
今回も、「もういいや!」と適当にお金を入れてしまった。

 

私は、焦りや不安を感じやすい性格だ。混乱するとつい浅はかな行動をしてしまい、いつも周囲から怒られていた。

「またやってしまった……外海まで来たのに」

バスを降りて、自分を責める気持ちが膨らんだ。

 

長崎駅からバスで約1時間10分。外海地区の出津は、潜伏キリシタンの歴史を今に伝える集落だ。遠藤周作の作品「沈黙」の舞台として知られている。

 

出津文化村は、角力灘(すもうなだ)を見下ろすゆるやかな丘の上にある。明治15年に建設された出津教会堂をはじめ、複数の資料館等が集まっており、外海の歴史を学び、感じることができる場所だ。

 

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出津文化村全景

 

潜伏キリシタンとは、禁教期にも16世紀に伝わったキリスト教の信仰を続けていた人々のことだ。

江戸時代の日本は、キリスト教を封建体制への脅威とみなし、キリシタンを激しく迫害した。
火あぶり、穴吊り、雲仙地獄責め……。
むごい拷問が繰り返された。

 

「なぜ人間は、同じ人間に対して、こんなに無情な仕打ちができるのだろう」

「多様性を認める時代ではなかったにせよ、『自分さえよければいい』という思いは、ここまで人間を残酷にするのか」

知れば知るほど、人間の恐ろしさと弱さに打ちのめされた。

 

「人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりに碧いのです」

 

出津文化村にある「沈黙の碑」に刻まれた、遠藤周作の言葉。迫害の苦しみ、恐怖は、現在を生きる私の想像を絶する。

 

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沈黙の碑

それでも、いつか堂々と祈り、大きな声で讃美の歌を歌えることを信じて、密かに信仰を守り続けた人々が潜伏キリシタンだ。

聖画像やマリア像などを隠し伝え、共同体を組織して200年あまり信仰を維持してきた。資料館に残された潜伏期の信心具からは、彼らの強く、純粋な祈りが伝わってくる。

 

「どっから来たと?」

資料館の見学を終え、出津教会堂に向かおうとしたとき、地元のおじさんに声をかけられた。

「東京です。『沈黙』を読んで外海を知りました。クリスチャンではないんですけど、潜伏キリシタンの歴史に心打たれて……」

おじさんは少し驚いた後、笑顔になった。

「まあ遠いとっから……ありがとう。教会堂を見てくだされ。それと……ここまで来たら、ド・ロ様のこと、知ってもらいたか」

 

ド・ロ様は、明治初期の外海に赴任したフランス人神父だ。

時代は、ようやく禁教が解かれた直後。当時の外海は、自然条件の悪さも影響して大変貧しい地域だった。ド・ロ様は人々のために、祈りの場、出津教会堂を建設した。外海の産業、医療の発展に生涯を捧げ、ド・ロ様が作った工場や福祉施設、農地は人々の窮状を救った。

 

「今でも外海の人たちは、ド・ロ様の思いば語り継いでるとよ……教会堂には、ド・ロ様の愛、苦しい時代を乗り越えて外海に生きた人たちの思いがつまっとる」

 

私は教会堂を見上げた。
白漆喰の壁と低い瓦屋根。水色の素朴な扉。
心を整え、入口に向かい、扉に手をかける。

 

中に入って、言葉を失った。

静寂。

歴史の重みと、人々の祈りが染み込んだ空間。

ただただ、圧倒された。

 

迫害の時代に散った命。長い長い潜伏期。

どうしてこんな苦しみがあるの? 

どうして祈ることすらできないの? 

人間は残酷で、「自分さえよければいい」という弱さに負けてしまう生きものなのだろうか?

 

……いや、苦しみがあるからこそ、人間は人間を思いやり、愛し合うことができる。

ド・ロ様のように、他者のために力を尽くして生きることもできる。

教会堂に満ちるやわらかな光。

それは、愛が人間の弱さに打ち勝つと信じる、希望そのものだった。

 

バスを降り立った時に抱いた、自分を責める気持ちはすっかり消えていた。外海の風は、すべてを受け入れ、おだやかに包み込んでくれる。

苦しい歴史を乗り越えた、揺らぐことのない愛に満ちた丘。

いつか、また訪れよう。

 

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出津教会堂を見上げる

 

帰りのバスに乗り込んだとき、運転手さんに声をかけられた。

「さっき多く払っちゃったでしょ。……帰りの運賃はいいからね」

驚いた。行きのバスと同じ運転手さんだったのだ。

外海の風が連れてきた偶然に涙があふれた。
やっぱり、人は優しい。

 

焦りや不安を感じやすい自分の性格に、ずっと悩んできた。改善に向けた努力はもちろん必要だ。
でも、弱さがあるからこそ、人の優しさに出会える。人の痛みもわかる。 

「自分の弱さを忘れず、人を愛し、人のために自分の力を使えるようになりたい」

帰りのバスの中、私は願った。

20186月、出津の集落は、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産に登録された。外海の人々が語り継いできた物語が、またひとつ花開いた。

 

kirishitan.jp

 

あれから今年で5年。私も少しは成長しただろうか。外海の風が、「またおいで」と優しく語りかけてくれている気がする。

 

※2019年現在、教会堂の拝観には事前連絡が必要です。