蓄積ヒストリー

内向型女子32歳。東京で、もがいて痛みながら作り出す、余白のある人生。

中川支流の上流に行ってみたら、暗渠パラダイスだった件(埼玉県越谷市せんげん台)

物心つく前から、川と暗渠が好きでした。

地図で川を遡ったり、暗渠らしき道を辿るのが大好き。

4歳くらいのころ、親にせがんで、近所の川の源流を見に行ったときの感動は今も忘れられません。暗渠の上の遊歩道がどこまで続いているのか、辿りたいと騒いだ記憶もあります。笑

 

今でも、気になる川を地図で眺めつつ、小旅行を楽しむときが至福…

 

あるとき、葛飾区を流れる中川を地図で眺めていました。以前、葛飾区をフィールドに働いていたことがあるため、私にとっては馴染みのある川です。

奥戸のあたり、やっぱり素敵なクネクネやなーなんて思いつつ。

 

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 くねくね

で、ふと思ったんです。

中川の上流ってどうなっとん?と。

 

荒川は秩父多摩川は山梨のあたりってなんとなく知っていたけど、中川は知らなかった。

 

地図を遡ってみると、越谷市吉川市あたりで激しく分岐。

中川の本流を見つけてさらに遡ると、羽生市の住宅街の中に消えていました。

 

川が住宅街の中に消える!?

源流って山とか池とかじゃないの??

 

これは見てみなあかん。

 

でも、羽生市は私の家からちと遠い。代わりに、中川の支流で住宅街に消えている川がないか確認しました。

 

あった。

新方川という川。

東武鉄道伊勢崎線せんげん台駅(越谷市)付近で、住宅街の中に散り散りに…!!


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私は一路、せんげん台へ向かいました。

 

 

結論。せんげん台は、川と暗渠好きにとってはパラダイスでした…

 

暗渠!!


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開渠!!


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宅地と宅地の間を貫く水路!!

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パラダイスや…

 

住宅街の中に張り巡らされた、小規模な暗渠や開渠の水が集まって、大きな川の流れを形作っていたのでした。

 

今は宅地化が進んでいるせんげん台ですが、ほんの少し前までは水田や畑が広がっていたのでしょう。

田畑の間を縫うように、農業用の用水路や排水路が流れていたはず。

 

田畑が減り、住宅が増えていくにつれて、用排水路はどちらかといえば邪魔なものになってきました。

宅地の区画に合わせて直線化されたり、蓋をかけられて暗渠化が進んでいく。

 

でも、都心部とは異なり、まだ田畑も残ってはいるから、現役で使われている水路もあると思われます。

それで、暗渠と開渠が宅地の中にモザイク状に存在しているのではないか??

 


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そんな仮説を立てたところで、一昔前の東京にタイムスリップしたような感覚になりました。

 

たとえば約100年前の渋谷。渋谷川の支流たちは、流域の水田や畑を潤していました。でも、田畑が宅地に飲み込まれるにつれて、だんだん「川」から側溝やドブ、暗渠へと姿を変えていきました。

1964年の東京オリンピック開催を契機に、下水道への転用などで、残る支流もすべて暗渠となっています。

 

農業を支え、生活に密着していた川が、都市が広がるにつれて、不要なものになって、姿を変えていく。

 

かつて東京で起こったのと同じ現象が、せんげん台では今まさに起こっている最中なのではないか?

想像しながら歩けば、もっと田畑があったころの原風景を流れる川の姿と、もっと都市化が進み、宅地の中に埋もれていく川の未来の姿、両方が見えてくるようでした。

 

住宅街の中に消える川、その正体は、農業用排水路を水源とする川で、現在進行形で都市の中で役割を変えつつある姿でした。

 


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開渠からの暗渠 

 

小さな川が消えていくのは、都市が成熟する過程で、安全面や衛生面、管理の効率性などを考えたときに、致し方ないことだと思います。

ただ、川がそこにあった、ということから、土地が持つ特性や物語を読み取ることには、まるで推理問題のようなおもしろさがあります。川は、ずっとずっと前から、そこを流れていたわけだから、土地の歴史の生き証人とも言えるのです。

川の背景にある物語を、地図上で、現場で、感じとる。

だから川や暗渠に心を惹かれてしまうのかもしれません。